先人から受け継いだ豊かで美しいふるさと豊島、国民共有の財産である瀬戸内海を子孫に継承していくことは、現在に生きる私たちすべてに課せられた責務です。
私たちが、豊島に産業廃棄物が持ち込まれることを知って、その阻止のために立ち上がり、その後長期にわたって不法投棄された大量の産業廃棄物を、豊島から完全に撤去させるために闘い続けたのは、まさにこの思いからでした。
そして、この深刻な事態を招いた香川県に、その責任を認めさせ、完全撤去させるために、1993年11月11日、残された最後の手続きである公害調停を申請したのもこの思いからです。
今日までの道のりは、私たちに過酷な苦難と犠牲を強いるものでした。それでも、私たちが叫び続けた願いは、ついに広範な世論を動かし、支持の輪を次第に広げて行きました。私たちは自らを信じ、世論に支えられて、暗闇の中でも光明を求めて一歩ずつ前に進むことができました。
私たちが繰り返し叫び続けたことが道理にかなった正しい要求であったことが認められたのです。私たちはそのことを喜ぶとともに、これからはここに至るまでの長く苦しい道のりにとらわれず、豊島が美しい瀬戸内海の自然と調和する元の姿に戻るよう、行政と住民がともに協力して、新しい価値をつくり出すという「共創」の理念に基づいて行動します。
私たちは、生まれてくる子どもたちに「誇りを持って住み続けられるふるさと」を引き継いでいくとともに、この闘いの中で得た貴重な教訓と成果を深く心に刻み、これも子どもたちに引き継がせつつ、世界に一つしかない豊かな豊島を築いていくことを決意します。
平成12年6月3日
豊かな島を実現させる豊島住民大会
私たちのたたかいは、廃棄物を島外に撤去させ、美しい島を取り戻すことに成功したというにとどまらず、これからの社会がどうあらねばならないか、どうすればそれを実現できるかを指し示したことにおいて、大きな意義があると思います。
このたたかいは、私たちの社会が目先の利益を追い続け、生産だけを重視し続ければ、取り返しのつかない結果を招くことを多くの人に知らせることになりました。そして、「使い捨ての社会」から「廃棄物を出さない社会」に向かうべきことを社会の共通認識とすることに、大きな役割を果たしたのです。
また、私たちは国や自治体を無謬のものとして「信頼」し、「依存」してはならないこと、その誤りに対しては、私たちの力でそのことを認めさせ、是正させることが可能であることを示しました。
私たちの運動は、「統治される」受け身の生き方から、然るべき行政を積極的に要求したすぐれた実践例でした。
さらに、私たちのたたかいは、社会的弱者であっても、その要求に道理があり、広範な人たちの支援を得れば、社会的強者に勝つことができることを多くの人に教えたのです。
いまも世間には不条理に泣いている人がいくらでもおりますし、過去に正義が実現せずに終わった例は数えきれないでしょう。
どうすれば、社会的弱者の正義が実現するのか―、私たちのたたかいにはそれを学んでもらう数多くの教訓が含まれています。
豊島住民を「中核」に、いろいろな人たちが、いろいろなかたちでこのたたかいに加わって、いわば「同心円」をつくり、その「円」が年月を追って大きくして、社会的強者を追いつめていきました。
私たちの勝利は、このたたかいに加わった多くの人たちの見事な「共同作品」なのです。
その意味でも、私たちは住民運動史上、金字塔を打ち立てたといってよいのではないでしょうか。
公害等調整委員会(調停条項前文より)
「当委員会は、この調停条項に定めるところが迅速かつ誠実に実行され、その結果、豊島が瀬戸内海国立公園という美しい自然の中でこれに相応しい姿を現すことを切望する」
「廃棄物の不法投棄にかかる事件において、その排出事業者が紛争の解決のため負担に応じた事例はなく、この調停は、この点において先例を開くものであった」