1990年11月に業者が兵庫県警の摘発を受けてから、時効期間である3年が過ぎようとしていました。住民たちは豊島にゆかりのあった豊島時夫弁護士から中坊弁護士を紹介されました。
中坊弁護士は、住民たちに、本当に最後まで闘うのかと覚悟を問いました。住民たちは最後まで闘うことを約束しました。中坊弁護士は、事務所の岩城裕弁護士、日高清司弁護士の2名を担当としたほか、大川真郎弁護士(大阪弁護士会)に協力を求め、豊島弁護士と合わせて5名の弁護団が結成されました。さらに、科学技術顧問として環境監視研究所の中地重晴氏が加わりました。
その後、調停が停滞する中、豊島問題は豊島だけの問題ではなく、瀬戸内海全体の問題であると位置づけて、大阪・伊多波重義弁護士、香川・中村詩郎弁護士、広島・阿佐美信義弁護士、岡山・石田正也弁護士/清水善朗弁護士、和歌山・山﨑和友弁護士、兵庫・佐藤健宗弁護士、愛媛・水口晃弁護士の8名が弁護団に加わりました。弁護士たちは無報酬でした。
調停が始まる前に、香川県は処分地の調査を行い、処分地内の有害物質は周辺の生活環境に重大な影響を及ぼしていないと、事実上の安全宣言を行なっていました。
住民たちは、調停委員会が選んだ専門委員による調査を強く求めました。協議を重ねた結果、調査が行われることになり、2億3600万円の予算が計上されました。
調査の結果、廃棄物の総量は48万立方メートルと推定され、鉛やトリクロロエチレン等が基準を大きく上回っていることが確認されました。
また猛毒のダイオキシンが高濃度で検出されました。
専門委員は、調査の結果をふまえて、処分地内の有害物質が北海岸から海に流出しているとして、「処分地をこのまま放置することは、生活環境保全上の支障を生ずるおそれがあるので、早急に適切な対策が講じられるべきである」と結論づけました。
香川県の安全宣言が誤りであったことが明らかになった瞬間でした。
香川県は責任を認めず、廃棄物を処分地に封じ込めるという案を提案しました。
住民たちは、粘り強くこの案の撤回を求め、調停委員会も香川県が廃棄物の認定を誤っていたことを指摘しました。
香川県はついに封じ込め案を撤回し、廃棄物を中間処理することによって原状回復を目指すとしましたが、廃棄物の認定を誤ったことについて、住民に対する謝罪はしませんでした。
廃棄物の処理方法については、専門家による技術的な検討が必要であり、これを行なうためには住民たちと香川県が中間的な合意をする必要がありました。
住民たちは、最終的な合意において香川県の謝罪を勝ち取ることを誓い合い、中間合意をしました。
中間合意の成立から3年、住民たちは香川県内100カ所座談会を行なうなど広く世論に訴える運動を展開しました。住民たちの主張に対して、ゆっくりと理解と支持が広がっていきました。
この間に技術的な検討も進められ、溶融処理後の副生成物のリサイクルが技術的に可能とされました。香川県は中間処理を精錬所がある直島で行なうことを提案しました。
2000年6月6日、最終合意が成立しました。中間合意で住民たちが誓ったとおり、香川県知事は、「豊島住民に長期にわたり不安と苦痛を与えたことを認め心から謝罪する」と述べました。
住民たちは、知事の謝罪を受けて、これからは香川県と共創の理念に基づいてともに廃棄物と闘っていくことを宣言しました。